今更ながら、こだま著「夫のちんぽが入らない」を読みました。
流行ってる本ってこんなに読みやすいんですね。 読了まで2時間ほど。
活字文化の衰退が目に見えるなあとかいう話はさておき、処女膜強靭症の診断を受けた私なりに、彼氏のちんぽが入らなくて悩んでいる私なりに、自分の経験や意見も交えながら感想を書いてみたいと思います。
もくじ
あらすじ
同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の「私」(こだま)。
初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。
彼の性器が全く入らなかったのだ。
その後も二人は「入らない」一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。
しかし「いつか入る」という願いは叶わぬまま、「私」はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく……。
主人公は処女膜強靭症といえるのだろうか?
てっきり私は主人公(こだま氏)を処女膜強靭症だと思っていた。
しかし本書を読んでみると、彼女は夫以外の男性とは出血もせずに完遂できているのである。(高校時代の体験は別だが。)
なおえビューティークリニック・喜田直江医師の見解
実は私がお世話になったなおえビューティークリニックの喜田直江医師も、自身のブログでこの本について言及していらっしゃった。
参考 「夫のちんぽが入らない」読みました銀座の女性器整形 なおえビューティークリニック喜田医師いわく、この方はおそらく処女膜強靭症。
こだま氏は精神的な問題では?
私はただの素人なので、医学的なことはわからないのだが、特定の人物とだけ性交渉ができないというのは何かその相手に対して精神的な問題を抱えていて、それによって力むなどして膣が閉じてしまうことによりちんぽが入らず、出血を引き起こすのだと思っていた。
私自身悩んでいた時に、何時間も様々な婦人科のホームページをあさったが、性交ができないのを解決するために精神面からのアプローチをすることは、現在そこまで珍しいことではないと思う。
ただ処女膜強靭症を含めこのような診断はかなり基準が曖昧らしい。
且つ、本書から得られる情報も限られており、前述の喜田医師もあくまで「おそらく」の診断であることから、この主人公が処女膜強靭症かどうかはグレーと言及するにとどめておく。
日常生活の中で不意に思い起こされる「ちんぽが入らない私」
なにも「ちんぽが入らない」のは、ベッドの上やパートナーとの間でのみ生じ、悩まされるものではない。
主人公の「私」も、度々日常生活の中で、ちんぽが入ることを前提とする話や場面において「私はちんぽが入らないのです」と心の中でつぶやく場面がたくさんでてきた。
私自身、街でカップルとすれ違えば「あの子もちんぽは入るんだろうな」。
幼い子供を連れた女性を見かければ「あの人もちんぽが入ったんだ」。
特に婦人科に行く直前、最も苦悩した時期は、目に入った女性すべてに「あの人もちんぽが入るのに、私はなぜ入らない」と思っていた。
多くの人間が当たり前にできることができない、というのは予想以上に普段の生活に響くものであった。
ちんぽが入らない私に彼女としての価値はない?
当然、最も深刻なのはパートナーとの関係である。
本書で主人公の夫は、内緒のつもりで風俗通いをしている。
彼女はそれに気づきながらも「ちんぽが入らない私にとやかく言う資格はない」と思っている。
彼氏に「セフレを作って」と言った。
「セフレを作ってほしい、作ってもいい」と私が彼に言ったのは、交際1年が経った頃。
恋人として当たり前に享受できるであろう快楽を提供できない私の、せめてもの配慮と覚悟のつもりだった。
ただ一方で、性交渉をしようとすることに嫌気がさしていたのも事実である。
今回こそは頑張ろうと最初は思っているのだが、指を入れられると激痛が走り、力が入ってしまいさらに痛みが増して、気持ちもぽっきり折れて萎えてしまう。
きっとそれが彼には見透かされていたのだと思う。
返ってきた返事は「セフレを作ってなんて、俺とするのを諦めてるみたいで嫌。」だった。
いやそもそもなぜちんぽが入らなくてはならないのか?
もうすっかりちんぽ突っ込み大作戦に嫌気がさしていた私は、 どうしてちんぽを入れなきゃいけないのかと思うようになっていた。
別にちんぽが入らなくったって子供はできる。
性欲は他の人で処理してもらえばいい。
性的なことはなくたって二人の関係性は保てる。
自分の性欲のなさ。どうしてなくなったか。
ただ最も大きかったのは、 私の性欲がほぼない。
もしかしたら性欲が徐々になくなっていったのほうが正しいかもしれない。
恋人ができる前とできて半年後くらいまでは人並みに性欲はあったと思うし、彼を喜ばせたい一心で、いつかは最後までできると信じていた。
しかしいつまで経っても痛いままだった。
性的なものに嫌悪感を抱くようになった。
きっと気持ちが折れたんだと思う。
それと同時に、性的なあらゆるものに嫌悪感を抱くようになった。
以前私はショッピングサイトでおもしろいタイトルのアダルトビデオを探すことを趣味としていたのだが、それもできなくなった。
なんとか自力で膣を触られることへの抵抗をなくそうと購入した女性向けのアダルトグッズも、使用できなくなった。
もう性に関するものがまるで嫌になってしまった。
もうこの先は行き止まりでしかないと思った。
しばらくはこんな投げやりな気持ちでいたが、少し経ってから一念発起することにした。
一度性交渉ができれば、なにかが変わるかもしれない。
本書の著者のこだま氏は性的な関係なしに夫と生きていくことを決意した。
私も現時点ではそれを望んでいる。
ただこだま氏と私の相違点は、 ちんぽが入ったことがあるか否か である。
私は処女である。 ちんぽが入ることによって得られるものを何ひとつ知らないのである。
もし一度完遂できれば、それだけでなにかが解決するかもしれない。
彼女としての自分に自信が持てるかもしれない。
処女膜強靭症と診断を受けた以上、他人より処女膜が強靭なのは確かである。
精神的なことはわからないが、まずは物理的に解決してみようと思う。
だから手術をしてみようと思う。
最後に
「夫のちんぽが入らない」をちゃんと読んだのはこれが初めてでしたが 少し前にこの本が話題になっていた時、そのタイトルから「確かにこの世にちんぽが入らない女性はいるんだ」ということがわかったことだけでも救いでした。
手術までの日数もあと少し。 またそれについて記事を書きます。
最後まで閲覧して頂きありがとうございました。
<続きの記事を読む>
【処女膜強靭症・手術レポ】処女膜にメスを入れた話。