
【映画レビュー】『エゴン・シーレ 死と乙女』“銀のクリムト”と呼ばれたナルシストの生涯・作風。

もくじ
どのような外套でぼくらを覆うとしてもそれは虚無を覆うのと等しいのです、 というのはそういう外被は、他の機関とからみつく欲求を持つかわりにぼくらを隠すのだから。 ――ぼくがもし自分を完全に見るなら、ぼくは自分自身を見なければならないだろう、 ぼくが何を欲しているか、何が単にぼくの中で起こるかのみでなく、 いかに遠くを見ている能力をぼくがもっているかをも自ら知るだろう、 またどんな手段がぼくのものであるか、 どのような謎に満ちた実体からぼくが組み立てられているか、 ぼくが認識しているもの、今までぼく自身に関して認識して来たもの、 それらのうちさらにどれだけ多くからか、ということも知るだろう―― (中略)ぼくはこれほど豊かですから、自分を次々と送らなければならないのです。『エーゴン・シーレ 日記と手紙』大久保 寛二 編訳 2004年 より。 エゴン・シーレがオスカル・ライヒェルに宛てた手紙の一部。 世紀末ウィーンの虚飾で飾り立てる街並みと、物質的な豊かさを求める住人たちの虚構の時代の中で自分というものの誉れと恥、美しさと醜さ、しかしそれらが自分の内の世界に本質的に存在すること自体の豊かさや価値に夢中になったために生まれたのがシーレの作品なのではないかと考える。