観想的生活

かんそうてきせいかつ

ただいまブログ改装中のため一部表示が崩れております。ご不便をおかけして申し訳ありません。

14歳の傷心が蘇ってきたので、ここでぶちまけようと思う。

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「私は、○○中が大嫌いです。」
突然ですが、はっきり言って。思い返すと、今まで好きだったことは、一度もないです。私は、小学生の時、○○小が大好きでした。その○○小の人が、そっくりそのまま○○中に行くのだから、また楽しい生活を送れると思ってました。でも、入学してみれば、「なんだこれ?」「意味が分からない」ことばかりでした。これは全国の、どの中学生も感じることなのですか?それとも、「○○小の人がそっくりそのまま○○中に行くのだから、また楽しい生活を送れる」という、単純な考えの私がバカだったのですか?私は、中学校に入学したことで、良くも悪くもみんなが変わった気がします。しばらく学校を休んでいて、1年の最後のあたりに一度行ったときに、特にそれを感じました。それが、「大人になる」ということであれば良いのですが、そうである人とそうでない人がいる気がします。私の学年は、色々な点で「優秀な学年」といわれ、入学してきました。私も小6の時くらいから、この学年を好きだと思うようになり、入学した当初までは、少なくともそう思ってました。でも今は、「嫌い」とまではいかなくても、「好き」ではありません。
「やっぱり、最終的にはああなっちゃうのかなぁ」
そんな不安さえあります。その不安を、私の周りの友達に話してみると、少なくとも私の周りは、安心できる答えが返ってきました。
「○○中の先生は、みんないい先生だよね。」
「そうだよね。今は警察呼ぶようなことする先生もいるもんね。」
「本当、本当。常識がズレてる。本当は、今で言う『いい先生』は『当たり前の先生』なのにね。」
「『ふつう(当たり前)』が『良い』になっちゃうのは、嬉しいんだか、嬉しくないんだか。」
「嬉しくないよ。皮肉。」
そんな感じの会話を、少し前に友達としました。
○○中の先生方が、私の件について、解決しようとしてくださったのには、とても感謝しています。実際、相手も「謝りたい」と言ってきたそうですし、とりあえず良かったと思います。ありがとうございました。しかし、私は、まだ学校に本格的に行ってません。もうすぐ、行かなくなってから2年になります。私が、「これなら学校に行ける」と感じたのは、最終手段の「相手がいなくなる」と、時間の経過です。私は、ここまでかかるとは思ってませんでした。最終手段を使うとは思ってませんでした。
先生方がいくら努力しても、私が学校に行かない限り、根本的な解決にはなりません。
私が言いたいのは、この場合、「いくら努力しようが、結果が変わらない限り、意味がない」ということです。
先生方が私の件を解決しようと、努力してくださったのは、とても嬉しく、感謝しています。でも、何も変わっていません。
先生とは、勉強を教えるだけでなく、生徒の指導、学校の改善が仕事であり、そのプロのはずですよね?そのプロがこれだけそろっていても、○○中が荒れたままなのは、なぜですか?先生には、見えないんですか?プロでも変えられないほど、ヒドいのですか?それでも変えてみせるのが、先生(プロ)じゃないんですか?? 私は、先生のありかたに疑問を抱いています。本当はこんなこと書きたくありませんし、目上の方にこんなことを言うのは、失礼だと思いました。でも、怒られようが、怒鳴られようが、自分の思っていることを書いてみようと思いました。私は間違っていますか?間違っていたのなら、すみませんでした。

やっぱり、学校に行かないとダメなんですね。この文章を書くだけで、分からない文字などを調べるために、20回以上も辞書をひいてしまいました。将来が不安です。すぐ先の受験さえ、不安です。私には、たくさんやりたいことがあります。でも、「学生」である以上、勉強が中心でなければなりませんし、勉強という基本がなければ、やりたいことというオプションはついてきません。

さっきも書いたとおり、私は先生が疑問です。だから、なるべく生徒だけでなんとかしようと思います。先生が変えられないのなら、生徒がやります。やってみせます。高い立場も無しに、私は必ずやってみせます。もう取り戻せない2年の年月を、来年全て取り戻したいです。

この手紙も前回と同じく、フリーです。私としては、同じ学年の人に「こういう考えの人」という形で、知ってもらいたく、フリーにしました。
2010年 2月 17日 







中高生のころに使っていたUSBを見てみたら、こんな文章が出てきた。

懐かしき一太郎ファイルで(笑)

2010年ともなると、文章を書くツールといえば、もうすでにwordが当たり前になっていたと思いますが、親が一太郎を愛用していたので、それをそのまま使っていたんですよね。

14歳・中学2年生の終わりごろに私が書いたものです。

当時不登校真っ只中で、担任の先生にたまに自分の意見などを書いた手紙を渡していました。

「先生方みなさんに、読んでいただけたら嬉しいです。」と。

ただこの手紙は、担任から「これは私でストップを掛けます。他の先生方には見せられない。」と言われてしまった。







理由はまず一つ、

「○○中の先生は、みんないい先生だよね。」
「そうだよね。今は警察呼ぶようなことする先生もいるもんね。」
「本当、本当。常識がズレてる。本当は、今で言う『いい先生』は『当たり前 の先生』なのにね。」
「『ふつう(当たり前)』が『良い』になっちゃうのは、嬉しいんだか、嬉しく ないんだか。」
「嬉しくないよ。皮肉。」
そんな感じの会話を、少し前に友達としました。

この箇所が「意味がわからない。」

「良い先生だと言っているのに、その後はずっと先生の批判ばかりじゃないか。ちょっと意味がわからない。」と言われた。

このとき開いた口が塞がらなかったのをよく覚えている。

担任は国語科の教員であったし、中学生の、確かに語彙力も表現力も乏しい文章ではあるが、それでも意味を汲み取ってくれると期待していたから。



私はこの手紙を書いた張本人だから今読み返しても意味が分かってしまうので、まったくの他人が読んでも理解できるように一応説明を加えておく。

ここで私が言いたかったのは、「良い先生」といわれるレベルが低下しているということである。

つまり、○○中の先生=どこにでもいる代替可能な普通の先生。

ここの意味が結構自分の中ではこの手紙の根幹だったので、理解されなかったことに唖然とした。





二つ目の理由は、

先生とは、勉強を教えるだけでなく、生徒の指導、学校の改善が仕事であり、そのプロのはずですよね?そのプロがこれだけそろっていても、○○中が荒れたままなのは、なぜですか?先生には、見えないんですか?プロでも変えられないほど、ヒドいのですか?それでも変えてみせるのが、先生(プロ)じゃないんですか??

ここの箇所が「先生方に対してプロが何だとか、あまりにも失礼すぎる。」だそうで。

そんなのわかっとるわい!!!

だからその後に

先生とは、勉強を教えるだけでなく、生徒の指導、学校の改善が仕事であり、そのプロのはずですよね?そのプロがこれだけそろっていても、○○中が荒れたままなのは、なぜですか?先生には、見えないんですか?プロでも変えられないほど、ヒドいのですか?それでも変えてみせるのが、先生(プロ)じゃないんですか?? 私は、先生のありかたに疑問を抱いています。本当はこんなこと書きたくありませんし、目上の方にこんなことを言うのは、失礼だと思いました。でも、怒られようが、怒鳴られようが、自分の思っていることを書いてみようと思いました。私は間違っていますか?間違っていたのなら、すみませんでした。

って入れたんだろー!!!!






このはげーーーーーーーーーーー!!!!!※担任は禿頭ではない。





ちょっとおふざけが過ぎましたが、当時は真面目に思ってたことなんですよね。

でも今も根本的に考え方は変わらないかな。

当時ものすごく学校が荒れていて、先生方も呆れてるのか「中学は3年間しかないし、早く卒業してくれればそれでいい。」というような、投げやりでやり過ごしているような雰囲気がしたんですよね。

そういう先生方の態度に、




ちがうだろーーーーーーーーーー!!!!!


って言いたかったんです(笑)


まあ荒れてるっていっても、今思えば可愛いもんなんだけどさ。

ただ14歳にはそう思える心の余裕なんぞなかったのよ。




これらの経験から中学2年生の私が学んだことは、

「普通の先生に学校全体の荒れ乱れをどうにかしろとか言っても無駄。」


今思えば当たり前だけど、当時は頼るところが親か先生くらいだったからね。



最後に、この記事に限ったことではないですが、まーた好き勝手に書いてしまったので、気分を害された方がいるかもしれませんけども。




そんなつもりじゃなかったんですぅ~♪




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